ウーファができるまで①
はじまりは、カウンターから

こんにちは、women farmers japan(以下ウーファ)の佐藤可奈子です。

wofa magazine(ウーファマガジン)では、ウーファの試行錯誤や実践の日々のコラムを掲載していきたいと思います。

 

 

ウーファのプランは、

代表である福嶋恭子さん・友美さん親子の、共同加工所計画に佐藤が加わり、具体的に進んでまいりました。そんなウーファができるまで、そして福嶋さん親子の挑戦を、お二人へのインタビューをもとに、佐藤目線で書いてまいります。

 

恭子さんとの最初の出会いは、まだ雪の残る、2011年春。

 

2010年8月、恭子さんが45歳のときに開店した農家レストラン「越後妻有のごちそう家ごったく」。

同じ年度、2011年2月に十日町に移住した私。

移住してすぐ、恭子さんがtwitterで声をかけてくださり、2011年4月にお店で開催される女性会に参加することに…!SNS万歳!

 

その日が初めての出会いでした。

 

お店の、オレンジ色のあたたかい光。

その下に立つ、twiterアカウント名「モフモフママ」の通り、全てを受け止めてくれるような、柔らかいお人柄の恭子さん。いますぐ飛び込みたい!と思える立ち姿。あぁ、十日町に来て、いい人と出会えたなぁとすぐ直感しました。

 

 

右を向いても左を向いても男性ばかりの農業業界。農に携わる女性との出会いがなく、それ以降、夜はお店に通うようになり、農業や暮らしの相談をカウンター越しでするようになりました。

 

当時、分校に住んでいた私にとって、テレビがあって(昭和か)、お母さんのような恭子さんがいて、美味しい料理が食べれるお店は、まるで実家でした。

どんなに農作業が疲れていても、どんなに雪の降る日でも、軽トラを走らせ通っていました。

 

その1年後頃には、お店で農業女子会を開催するようにもなり、そのカウンター席から、たくさんの企画や友達ができました。

 

 

私の長い氷河期を終わらせた夫と出会ったのも、お店のカウンター。

 

 

友美さんとも出会ったのも、お店のカウンターでした。

出会った当時の友美さんは、まだ会社員だったのですが、

いつものチャーハンを食べる田舎くさい私の隣に、颯爽と座り足を組む友美さんは本当にカッコよく、奥でタバコをくゆらす姿もカッコよく、サバサバハキハキ話す姿もカッコよく、そんな友美さんの口からその日、

「私、会社辞めて、いつか農業やりたいんだよねー」

と聞いて、飛び上がるほど驚いたのを覚えています。

 

「お父さんが兼業しながらの農業大変そうだし、あとスーパーの大根が美味しくないんだよねー」

 

こんなカッコいい人が農業をしたら、世界はどうなっちゃうんだろう…!!と本気で思いました。

 

そしてその出会いから4年後の2016年、友美さんは本当に就農したのでした。

 

【 ウーファができるまで②へ、つづく 】

 

 

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