ウーファができるまで②
クリスマスイブに起きた、新しい出会い

さて、佐藤は移住して2年後くらいから、栽培していたさつまいもを、地域の人からも育ててもらい、それらを干し芋加工(茨城で委託加工)をして、販売するようになりました。

 

干し芋にするには大きすぎる芋や傷のあるものは、ペースト加工をしていたのですが、2016年、委託加工が間に合わず、芋が腐る前に新潟市のアグリパーク内にある食品加工支援センターで、自分たちでペースト加工をすることにしました。

 

忘れもしない、2016年12月24日クリスマスイブ。
私と夫だけでは間に合わないと、「クリスマスイブなのに申し訳ない」と思いながらも、思い切って恭子さんを誘ったのでした。

 

 

食品加工支援センターは、農家なら誰でも使える加工所で、ここからたくさんの加工品が生まれていました。

 

当時、恭子さん自身もいつかは食品加工所をやりたいと思っていました。
しかし、自身の農業と農家レストランと並行しながらの運用を考えると、100%の稼働は無理がありました。そのため、

 

「一人で全部を負担しなくても、みんなで使える加工所があるんだ。こんな施設が十日町にもあったらなぁ…」と衝撃を受けました。
この出会いが、十日町で女性農家がチャレンジできる共同食品加工所づくりのプランに繋がってゆきます。

 

その頃、毎月10日に十日町市で開催される「とおか市」にご出店してた恭子さんと友美さんは、とおか市に子育て中のママさんたちが手作り品で出店する姿を見ていました。

 

 

「手芸品や雑貨などは、子育てしながら時間を見つけて作って、ママさんたちが出店しているけれど、食品は加工所や保健所のハードルもあって、これほど気軽にできないんだよな…食品に関しても、もっと気軽にチャレンジすることができたらいいのに」

 

その思いは、どんどん大きくなりました。
自分たちだけで100%稼働できないなら、「空いているときは誰かに貸すのはどうだろう。食品加工にチャレンジしたい女性たちを応援できる場所にしたい」。

 

そうして一歩踏み出す勇気が固まっていきました。
友美さんの旦那さんの空き家を活用し、共同加工所をつくるプランが本格的に動き始めました。

 

初めての農業、初めての農家レストラン。
いままで農家として、母として挑戦し続けてきた恭子さん。

 

だからこそ、誰かが挑戦したいと思ったとき、「すぐ挑戦できる環境にしてあげたい」と思っていました。
子育てが落ち着いてから、お金が貯まってから。そうして挑戦が遅くなると、やっぱり体力がついてゆかない。それは45歳で農家レストランを開業した恭子さん自身の実感でした。
思い立ったら吉日。たとえそれが子育て中であっても、その子が挑戦したいと思ったときに、できるように。

 

それを実現するため、一緒に共同食品加工所づくりに挑戦できる娘、友美さんも今はいる。

 

 

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